久々に紅白歌合戦を見た。見たくて見たというより、実家に帰省して、つきあったというのが正直なところだ。けれど見てみると、改めて紅白歌合戦の視聴率低迷に、テレビ自体の退潮を見た思いがした。

IKKOらの「桃組」、あるいはZARDの追悼企画で眼を引こうとしていたものの、今年の紅白歌合戦の視聴率も低迷するだろう。視聴率50%に戻ることは、よほどのことがない限り二度とないと断言できる。今年も視聴率40%台半ばまで落ちているかもしれない。ただ、紅白に救いがあるとすれば、裏のK1が弱い対戦カードしかなかったことくらいか。数年前の曙対ボブサップのような国民的な注目カードではなく、船木対桜庭ではちょっと苦しい。

なぜ、紅白の低迷が止まらないのか。実は紅白の視聴率低迷と巨人戦の衰退の原因は同じだ。つまり、周りのみんなで同じものを見て、同じように楽しむという文化がかなり崩壊しているからだ。家族みんなで紅白を見る。あるいは、巨人戦を見る。そういった、世代を超えて広範に全く同じものを楽しむ文化がなくなった。

かといって、みんなで同じものを見るという文化が無くなっているわけではない。違う次元で情報共有するようになった。それが2ちゃんであり、はてなであり、ニコニコ動画だ。これらの新興の情報共有システムの特徴は、規模が小さいということ。情報共有の世界が細分化されている。わかる人だけわかればいいという閉じた共同体がいくつも発生している。はてなやニコニコで盛り上がっている出来事について、同じ電車に乗っている女子大生は全く知らないだろう。

あるいはプロ野球にしても巨人は全国各地で応援する唯一のチームだった。それが全国各地で同じチームを応援する必然性がなくなった。九州の人はホークスだし、仙台の人は楽天という具合に、応援する集団も細分化してきている。

テレビが形成してきた数千万、数百万人という単位で同じ事象を楽しむ基盤が大きく損なわれている。テレビがかつてのように視聴率が取れるのは、オリンピックやワールドカップのような「日の丸」ものしかない。みんなで応援する対象はもはや「日本」という国レベルしか、共有できるものが無くなってきているのかもしれない。

この細分化は根が深い。巨人が強くなれば、以前のようにみんなで応援する、あるいは紅白の演出が上手ければ視聴率が上がるというものでは決してない。所得や意識の格差社会と根は同じだ。同じような世代の人でももはや収入も大きく違えば、趣味思考も違うという、社会構造の変化に大きく根ざしている。

テレビ局が視聴率を目指す最大の動機付けである広告、つまり企業のマーケティングにしても、20代の女性も60代の男性もひっくるめた世帯視聴率を相手にしてはいない。自分たちの商品のターゲットとなる人々にいかに効果的に見られるかしか考えていない。細分化した社会は大規模で一律なマーケティングの必要性を大幅に失わせた。細分化したターゲットに細分化された商品をアピールする。わずかな差別化要因を見つけ、消費者に訴えていく。もはや広範に見られている高視聴率番組が必ずしも効果的な広告媒体ではない。

そして、テレビの作り手たちはこの構造変化に気がついていながらも、昔ながらの文法で番組を作り続けるしかないと思っている。

紅白歌合戦と巨人戦の低迷は社会構造の細分化に根ざしている。細分化は視聴率の低下と企業の広告活動の両面からテレビ局を締め上げていく。もはや紅白歌合戦や巨人戦が復活することはない。これは社会的にも歴史的にも必然だと思う。




2008.01.01 Tue l マスコミ裏事情 l COM(0) TB(0) l top ▲

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